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女の結婚は人身売買?
毎朝、映像美を楽しみに見ていた朝ドラ「ばけばけ」が終わってしまった。あとに続いているのは「ばけばけ」と同じ時代の人物をモデルにした「風、薫る」。 両方のドラマを見ていて思うのは、女性の結婚とは人身売買ではなかったのかということだ。 「ばけばけ」と「風、薫る」この2つのドラマは、どちらの主人公も明治維新で没落した士族の娘である。一般庶民の娘とは違い、女が働くことがはしたないとされた特権階級の娘なのである。 明治維新はフランス革命ほどの大きな時代転換ではなかったにせよ、国家転覆であった。 ヨーロッパ諸国でアンシャン・レジームが崩れ去るのと同じように、それまで特権階級であった武士の生活は一変する。 明治維新がなければ、おそらく生涯経済的な困窮とは無縁であったはずの特権階級の娘が、経済的に困窮する姿を、この2つのドラマは描いている。 どちらのドラマも、親が働かないくせに気位だけは高いところも共通している。そして生きていくための糧を得るための選択が娘の結婚であるところも同じだ。 「ばけばけ」の松野家は婿を取り、婿に働いてもらってどうにかしようと縁談を進める
2 日前


メディアに出るということ
撮影協力 八潮秘宝館
4月18日


「みいちゃんと山田さん」で蘇るトラウマ
話題のマンガ「みいちゃんと山田さん」を読んだことはあるだろうか。 作者は亜月ねね。講談社のマガジンポケットで2024年9月から連載されている。 このマンガは、境界知能の女の子「みいちゃん」とキャバ嬢の「山田さん」との関わりを描く。 何をやっても失敗だらけでつまはじきにされるみいちゃん、そんなみいちゃんに自分の姿を重ねて、ほおっていけない山田さんと、みいちゃんを取り巻く人々の、読んでいると心をえぐられるようなエピソードが展開していく。 はじめのうちは可愛さを感じていたみいちゃんのキャラクターだが、物語が進むにつれて、どんどん痛々しくなり、最新話ではついに山田さんがみいちゃんをグーで殴る。 これを読んでいて、過去に関わったさまざまな発達障害、自己愛性パーソナリティ障害の人たちのことを思い出してしまった。 「発達障害」という概念が定着したのはいつのことだっただろう。 1990年代の終盤に、家を片付けられない知人が「私の片付けられないは性格じゃなくて病気だったんだって」と嬉しそうに電話をかけてきた記憶がある。 昭和の頃は「片付けられない」「朝起きられない
4月11日


I heve a dream today!
子どもの頃から女の子らしく振る舞うことが嫌いだった。 「女の子なのだから」と言われることが嫌で嫌で、男の子とばかり遊んでいた。幼稚園の工作やお絵かきでも「女の子なのだからもう少し丁寧に」と言われることに苛立ちを覚えて、ますます汚らしいものを描いたり作ったりしていた。 もしかすると、マキエマキの制作はその頃の「キレイなものなんかぜったいに作ってなんかやらない」という反発がルーツになっているのかもしれない。 先日、Threadsに桜の木の下でスリップ姿で撮影したセルフポートレートを上げたら、なぜかバズった。400件くらいのコメントがぶら下がっていて、そのほとんどが誹謗中傷と取れるコメントだった。 マキエマキを始めた頃、こういう現象がよく起こっていたので耐性はできている。容姿や年齢を揶揄するコメントには何の感情も動かない。 不快と感じたのは、私の容姿や年齢を貶めるコメントではなく 「こんなことをして恥ずかしくないのか」 「家族がかわいそう」 「もっと上品で素敵な女性を目指しなさい」 といった、私を「清く正しく美しく」と導こうとする、ご清潔でご親切なコメ
4月5日


つげ義春さんの訃報に
私が初めてつげ義春の漫画を読んだのは中学2年か3年のことだった。
3月28日


高市総理の笑顔
私は自民党支持ではないし、高市総理のことはネットのニュースやテレビの報道でしか知らないので、あくまでもその範囲内で見た印象として書いている。 高市早苗総理の国会での答弁時やインタビューなどで口元に称えている笑みを見ていると、いかにもホモソーシャルの中で名誉男性として立ち位置を担保されてきたバブルの女だなと感じてしまう。 それは、私自身もああやって男性社会の中で泳いできた身だから思ってしまうことなのだが、あの時代を同じように生きてきた女の大多数が同じことを思っているのではないだろうか。 私の世代の女はバブル期に20代という、性的な資本を最も高く持ち褪せた年代で過ごした。社会に出るとすぐに社会的、経済的に地位のあるおじさんたちから下心たっぷりにチヤホヤされた。 今の時代のように、お金も社会的地位もないようなおじさんが、なけなしのお金を握りしめて路上に立つ女を買いに行ったり、出会い系アプリやSNSで卑しい女漁りをするのとはわけが違う。 お金や社会的地位がある男にしか若い女に声をかける権利がなかったような時代を称賛してるのではない。若い女に支配欲剥き出し
3月22日


2026年版#me too
先週、国際女性デーに性的同意のことを書いたが、今週は先週に増して性的同意の投稿が流れてきた。 「嘘をついてラブホに連れ込む男」の話が私も、私も、と言った感じに流れてきて、2026年版の#me tooかと思ってしまうほどだ。 「カラオケしたいだけだから」「もう少し飲みたいだけだから」などと言ってラブホに連れ込もうとされた経験は私もずいぶんあった。 大抵は仕事上の関係がある人で、クライアントの社長にも言われたことがある。 そういう人から「カラオケしたいだけだから」と言われてラブホの前で手を引っ張られたら、なかなかに厄介だ。 まずは身体が固まってしまうのだが、そうして固まっていると「疑うの?」と言われる。そう言われても、中に入ればセックスまで持ち込まれてしまうのは火を見るより明らかだ。 私はフリーランスなので「嫌です、さようなら!」と走って逃げてしまえばそれで済む。(仕事はなくなるけど)しかし、これが毎日顔を合わせなければならない職場の上司だったり、同僚だったり、取引先の決定権を持つ人物だったりしたらと考えると「嫌です、さようなら」と走って逃げることが
3月14日


国際女性デーに
私のXのアルゴリズムのせいなのか、SNSのタイムラインをはじめ、ニュースにしても、毎日毎日性加害、性犯罪に関するニュースが大量に流れてくる。 毎日毎日自分の身にも起こったようなことが流れてきて、不快でもあるし、過去の傷をえぐられるような気分にもなるしで、こういったことを書くのが最近は辛くなってきている。 今週は特に、前橋地裁の復興ボランティア団体代表による性加害への無罪判決(高橋正幸裁判長)、榊英雄氏の判決からの控訴など、実際にそういった加害にかなり近いものを受けた経験のある身としては、読んでいて苦しくなるようなニュースが連続して流れてきた。 日本の警察、司法はとかく性犯罪に関しては加害者の権利を守りすぎているという印象がある。 最近はストーカー被害に関する対応は随分変わってきたようだが、私がストーカー被害にあった20代、30代のころは 「あなたがきちんと言わないのが悪い」 「事件性がないと動けない」 と、嘲笑われた。 幸い(なのか?)自宅の玄関先でストーキングしていた男に顔を殴られたことで事件性ありとして被害届を受理してくれることになったが、そ
3月8日


デジタル世代のフィルム神話
鉄道カメラマンの中井精也さんが、フィルムの頃はミスがないように何重にも安全対策をしながら撮影していたとXに投稿していた。 それは私もそうだったのでよくわかる。 カメラは常に最低2台持ち。メインカメラはブローニーで、35ミリで押さえを撮るのは常のことだった。 現像も、たまに事故があるので一度には流さず、分けて現像したりとか、とかく注意が必要だった。 中でも、細かい粒子と鮮やかな発色が美しいベルビアというフィルムは、とにかく安定性の悪いフイルムで、気に入った乳剤番号のロットがあれば、それをまとめて取り置きしておかないと、大変なことになるようなフイルムだった。 アシスタント時代、ロケで2週間ほど九州にいっぱなしというときに、私の師匠の手持ちのベルビアが底をついたことがある。 仕方なく、熊本のクリエイトで補給したが使いつけの乳剤番号のものではなかった。 不安に思いながらも撮影し、現像してみるとGカブリがひどかった。これではまともに使えないと、師匠は東京のクリエイトに電話をし、使い付けの乳剤番号のものを熊本に送ってほしいと伝えたが、中2日かかると言われて、
3月1日


空々しいロマンチック
連日Xのタイムラインやネットのニュースを賑わわせているエプスタインファイルのニュース。 日本のマスコミはなぜかあまりその話題に突っ込まないが、2月19日は英国のアンドルー王子が逮捕されたというニュースが流れてきた。 リストには秋篠宮殿下の名前もあるらしく、まだまだ物議を醸しそうだ。 エプスタインファイルに関することはあまりきちんと読んでいないので、言及することを控えるが、金と地位を得た男にとって、セックスがこれほどまでに褒章として扱われることにうんざりする。しかもそれが少女買春というのだから、人の欲望の闇はどれだけ深いのだろう。 さて、ここからが本題。 この事件に関連して流れてきた「ヤリ部屋」の画像に私の眼は釘付けになった。 投稿者はlynxさんと言う方。 その方が投稿したベッドルームの写真が、千葉の流山インターの近くにあるホテルブルージュの部屋にクリソツなのだ。 コメントを引用する。 「なぜエロジジイが考えるロマンチックな“ヤリ部屋”=場末な田舎の城ラブホなのか。。 その最上級を見ている気分。香りたつダサさとエゴと傲慢さ。。金で全てをブン殴り、
2月21日


フリーランス受難の時代
AIに仕事を奪われたwebライターのXの記事がバズっていたが、どうやら釣りだった様子? しかし、釣り投稿であったとしても、書かれていたことはフリーランスクリエイターや、フリーランスに仕事を発注していた企業の人たちにとって現実味の強い内容であった。 かく言う私も件の記事はわかりすぎるほどわかる内容だった。記事を書いていた方は飯田さんと名乗っていたので以後、飯田さんと書かせていただく。 飯田さんはご自分のことを「地頭が悪い自覚がある」「フワッとした指示を受けても、その裏にある意図を汲み取れなかったり、優先順位を間違えたりして、いつも的はずれなアウトプットを返してしまう」( https://x.com/writer_eda1997/status/2021490982659731716より引用)と書いていた。 ああ、これ! いるよ、いるんだよ、こういう人ほんとに! 情報誌で飲食店や観光地、宿泊施設の取材をしていた頃、こういうライターに遭遇することがあった。 そういう取材はライターがディレクションするのが通常なので、カメラマンである私はライターの指示を待つ
2月13日


木嶋佳苗死刑囚のブログに思ったこと
今週の気になった話題は「木嶋佳苗死刑囚のブログの再解釈」 XのTLに流れてきたpostから興味を持ち、木嶋佳苗死刑囚のブログでXに引用されていた文章を読んでみた。 興味のある方は切り取られたものではなく、御本人の書かれたものを読んでみることをおすすめする。 「木嶋佳苗の拘置所日記」 http://blog.livedoor.jp/kijimakanae/?p=14 (このnoteを書くに当たって私が読んだのは2014年1月1日と1月3日分のみ) まず、私がその文章から感じたのは強い女性嫌悪だ。 なぜ、こんなにも女性を嫌悪するのか。 私にも木嶋佳苗死刑囚が書いているのに近い感情を持っていた時期があるので、この文章には「うん、うん、そうだよね」と言ってしまいたくなる箇所がある。 実際、世の中には一般的な社会常識からはみ出してネガティブな行動をしている女―特に性に奔放な振る舞いをしている女―を勝手に崇めたり、同一視することで自己肯定感を満たそうとする女がいる。 自分のことを言えば、飲食店で個展をやっていた頃は、私が写真で食えるようになるための努力や、自
2月7日


フリーランス40代の壁ークリエイター受難の時代
今週の気になった話題は「フリーランスは40代で詰む」という話題。 トレンド入りしているこの話題はフリーライターのことを言っているようだが、多分、どの業種でも同じことが言えると思う。 というのも、私自身が40代の時に壁を感じたし、自分の周りの人のことを思い出してみれば、30代前半で法人化して一等地にオフィスやスタジオを借りて華々しく開業した人が、ことごとく40代後半になって事業を畳んだり縮小したりしていた。 こうなる背景には、日本全体の不況は元より、出版、広告の紙媒体の衰退がある。 私が独立した1993年の時点で、こんなにも早くフイルムを使わなくなってしまうことや、雑誌が少なくなることは予想もしていなかった。 私の仕事が最も忙しかった2000年代前半の時点では、デジタルカメラの性能はまだまだだったし、web媒体でもきちんとした写真を載せたいと考えるクライアントはポジ納品を要求していた。 写真原稿がデータ入稿に完全移行したのが2007年ごろ。 その頃からフイルム代、現像代は支払われなくなり、都内に数多あったプロラボもどんどん無くなり、提示される報酬の
1月31日


AVのやたら長いタイトル考
いつからこうなったのだろう、最近のAVはやたらとタイトルが長い。 この理由は諸説あるが「タイトルを読むだけである程度内容が把握できないと課金にまで進まない」という説明がしっくり来る。 私の世代だと初めて見たAVはレンタルだったという方が多いかと思うが、イマドキは配信が多いせいか、その辺の事情はよく知らないのだが、これがタイパというものなのだろうか。 河原でエロ本を拾ったり、通学路にあったロマンポルノのポスターで妄想を膨らませていた身としては、タイトルから妄想するという「遊び」がないほうがつまらないと思ってしまうのだが、そういう感覚はもう、昭和の老人の感覚ということになってしまうのだろう。 それにしても 「ド淫乱な人妻が、NTRプレイで本気汁ぐっしょり。夫の眼の前で白目剥いてのエンドレスアクメ」 などと言われても、タイトルだけでおなかいっぱいだ。パッケージのデザインとしてはその長いタイトルをただタイトルとして配置するのではなく、散らして配置しているので、メイン女優のまわりに扇情的な文字が踊っているという感じだが、これ、企画会議のときなんかは、いちい
1月24日


AVは私たちに何を見せているのか
1月16日のXで、AVが怖いという人の投稿がバズっていた。 「AVが怖い」 この感覚、私もわかる。 その投稿に対して、男優のしみけん氏が「知らないから怖いんです」と投稿しているのを見て、こういう人には「黒川の女たち」に登場する被害者の気持ちは一生わからないのだろうなと思ってしまった。 先週のnoteにも書いたが、最近、私はエロコンテンツを見るのが辛い。 子供の頃、お笑いとしてお茶の間に流されていたバカ殿のエッチなギャグも、今見ると笑えないし、新人アイドルがおっぱいポロリをさせられていた水泳大会も思い出すと痛々しい。 好き好んで人前で裸になりたい女が世の中にどのくらいいるだろう。 イマドキはSNSや動画投稿サイトに出せばお金になることもあって、自ら肌を露出する女性もいるが、たいていの女は出したくはないものだ。ましてやAVとなれば、性行為を撮影されて世界中に公開される。そしてそれが未来永劫消えることがない。 セックスにまつわる仕事のギャラが高かったり、女性解放運動で活動家が裸になるのは、それが女性の尊厳や人権につながることだからで、それだけ女が人前で
1月17日


私のエロはどこへ行く?
エッチなものはいけませんと萌え絵やジェンダー表象を燃やすフェミニストが苦手だった。しかし、最近はそういうフェミニストの言っていたことが理解できるようになってきている。 「エッチなものはいけません」なムーブは昭和の頃からあったが、私はどちらかというと、そういうことを言う人が苦手だった。 ハレンチ学園のスカートめくりや、しずかちゃんのお風呂のぞき、ドラゴンボールのぱふぱふなど、少年マンガの「イタズラ」的なえっち描写を批判する人たちの言っていることや書いていることを読んでも何がよくないことなのか、ピンとこなかった。 しかし、近年のSNSで弱者ミソジニー男性の投稿を見ていると、ポルノは現実に有害な影響を与えるものであるということを確信する。 よく、現実と虚構の区別もつかないなどと嘲笑う人がいるが、こと、性的なものに関しては「AVで見た」「週刊誌のハウツー記事にかいてあった」と虚構を信じる男性が多い。 さらに、ポルノは女の人格を見えなくする。ポルノの有害性についてはこんなデータもある。 男性の行動に関する研究で、ビキニ姿の女性の写真を見た男性の脳をスキャン
1月11日


2025年もありがとうございました!
※毎週末にnoteの記事を更新しておりますが、2026年1月3日は更新を休ませていいただきます。 2025年も残り僅かとなった。 26日が仕事納めという方が多かったことと思う。この記事を公開する頃には、すでに帰省先に到着されている方も多いだろう。 写真家マキエマキと名乗るようになって来年で10年。 殊に2019年以降はクライアントワークが激減し、それまでの20数年間とはまるで違う生活になった。 ほぼ毎年安定的にあった収入がなくなり、不安な日々の中、制作だけが生きる支え。そんな状態でよくぞここまでやってきたものだと思う。その中でも今年、2025年は私にとって激動の一年だった。 そんな一年を振り返ってみる。 まずは、2022年からの引き続きでやってきた佐田茉莉子さんのクラファンのファイナルイベント。 佐田茉莉子さんの引退に合わせて何が何でも2025年3月には公開にこぎつけたい映画の制作と引退記念写真集の制作。 映画の制作も重圧だったが、こちらはチームでの仕事なので、私の足りない部分は他のスタッフの方が助けてくれる。とにかく自分の軸をぶらさないことに徹
2025年12月28日


ルッキズムに自己肯定感を削がれる女とおぢアタック
マキエマキとして自分を撮り、商品とは関係ない目線で人を撮ることも増えてきた頃、幾人かの容姿にコンプレックスを抱えるという女性から撮影依頼を受けたことがある。 どの人も彼女たち自身が言うほど容姿に難があるということもなかったし、依頼を受けるたびに「フツーに美人なのになんで?」と思うことばかりだった。 決して引け目を感じるような容姿でもない女性が、なぜそんなにも容姿で自己肯定感を削られているのか。そういう疑問に何度もぶつかった。 世の中には求められる容姿が備わっていないとできない仕事というものもあって、そういう仕事に就ける容姿は、もう一般的なレベルの美醜の感覚で測ることではなく、天から与えられた特別な能力の類なので、そういう人たちと一般の人を同じ目線で見るのは違う。 でも、私に撮影依頼をしてきた容姿にコンプレックスを抱える女性たちは、自分自身の持つ美点に目を向けずに、容姿で仕事をしている人たちと自分とを同じ舞台に立たせて「私は容姿が劣っている」と自分を下げていた。 それを言われるとたしかに彼女たちは「ブス」なのかもしれないけど、それで自己肯定感を持て
2025年12月20日


踏みつける足を拂うために
今週1週間、私のTLに流れてきた話題で最も関心を持った話題は「独身偽装」。 マッチングアプリで既婚男性が独身と偽って女性と交際し、訴えられた件。この件で、東京地裁は男性に約150万円の賠償を命じる判決を言い渡した。 この150万円を安いと思うか、高いと思うかは人それぞれだと思うが、裁判をやったことのある者なら、この金額がむしろ安いと思うだろう。 金額の如何は別にして、こういう事例を引き受ける弁護士がいて、賠償命令が出たということに時代の変化を実感している。これが40年前だったら、いや、20年前でも、引き受ける弁護士がいたかどうかわからない。 弁護士というのは大概、依頼人に経済的利益があるかどうかで仕事を引き受けるものだ。 経済的利益はどうでもいいから、とにかく相手に自分が間違っているということを認めさせたいという感情を持って弁護士事務所を訪れる者も多いかと思うが、現実に民事訴訟で解決するということは正義を通すとか、自分に不利益をもたらした相手に罰を与えるとか、そういうことではない。あくまでも経済的利益という目線で解決を目指す、そういうものなのだ。
2025年12月15日


昭和100年作品展ありがとうございました!
この記事をアップする頃には「愛はファンタジー」大阪展の撤収も終わっているだろう。 去年の8月にプレイリストから流れてきた曲から思いついた昭和100年シリーズの作品展を、昭和100年の年の最後の月にできて、良い一年になったと思う。 展示会場では、BGMに1970代~80年代前半に流行った歌謡曲(今ふうに言うとシティポップ?)を使っているので、在廊中は毎日終日昭和のホモソソングが常に耳に入ってきていたのだが、流れてくる曲の歌詞がどれもこれも違和感だらけで、人がひとり生きて死ぬまでの間に、世の中というものはずいぶん変わるものなのだなと実感する。 そうした中でも、今回の在廊中に特にギョッとしたものが2曲あった。 桜田淳子の「ねえ!気がついてよ」と奥村チヨの「中途半端はやめて」の2曲だ。 歌詞をそのまま転載したり引用すると著作権的に問題があるので詳しい内容は割愛するが、男物のシャツを裸に羽織って、長い髪をかき上げて誘惑しちゃう「私」は18歳という部分。 「男物のシャツを着て髪の毛をかきあげる」という描写は多分ブリジットバルドーの「素直な悪女」や「月曜日のユ
2025年12月7日
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