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秋山そわれは

  • 5月4日
  • 読了時間: 3分

冬ごもり春さり来れば鳴かざりし鳥も来鳴きぬ咲かざりし花も咲けれど山を茂み入りても取らず草深み取りても見ず秋山の木の葉を見ては黄葉をば取りてそしのふ青きをば置きてそ嘆くそこし恨めし秋山そわれは(額田王「春秋競憐歌」 万葉集 巻1016)




春はとにかく心がざわざわする。

風景写真を撮っていた頃、春が来ると桜を追って出かけていたせいだろう。

ネットやライブカメラなどなかった時代、各地の観光課に電話をかけて桜の状況を問い合わせ、過去の気象データからの開花予想と観光課からの情報を元に出かけたものだった。



そんなことをしていたおかげで、今でも東日本一帯の有名どころの桜の時期はしっかり頭に入っている。

春の桜行脚は4月頭の千鳥ヶ淵から始まり、ゴールデンウイークの五稜郭で終わる。どこへ行っても人でいっぱい。前日の夜から現地で車中泊をし、夜が明ける前に場所取りをして寒さに震えながら夜明けを待たなければならない。


そんなことが嫌で風景写真をやめてしまった。

写真を始める以前は大好きだった桜も嫌いになった。今でも桜の花が咲き始めると心のなかに暗雲が立ち込めてくる。



桜が咲くと気温は大きく変動する。暖かくなるのは嬉しいが、虫が出始める。

桜吹雪の下で春の名残を惜しんでいると肩に毛虫が落ちてくる。

冬の間、すっかり存在を忘れていた蚊やブヨが出てくる。うっかり水辺の花に近づくと、そこはブヨの巣窟。「花の下にて春死なん」などと風流人ぶっているとひどい目に合う。



近年は紫外線の強さも憂鬱の種だ。

暖かくなったからと半袖で出かければ翌日は露出した腕を掻きむしりながら眠ることになる。


毎年、毎年、桜の写真なんかどうでもいいじゃないかと自分に言い聞かせる。展示で使うにしても使いにくいし、カレンダーに使うのがいいところだ。



遠目には良さそうな場所も近くに行ってみれば花がまばらだったり、人工的なフェンスや道路標識が景観をぶち壊していたりで撮影場所も限られる。

やっと見つけた穴場であっても必ずカメラを持った人がやってくる。お互いに気を使いながら撮影をするのも楽しくない。マキエマキの撮影は時間がかかるので内心で脇汗をかきながら表情を作らなければならないし、同じ場所を長時間占拠するわけにもいかないので上がりがいまひとつと思っても、切り上げなければならない。



なぜみんなそんなに桜に寄ってくるのだ?


秋はいい。

紅葉は1週間では散らないし、人物と紅葉を絡めようと思えば、どこに行ってもだいたいどうにかなる。散った葉が積もる路面さえもフォトジェニックだ。気温が下がれば虫もいなくなるし、紫外線が弱くなれば肌への負担の重い日焼け止めも塗らなくて済む。峠道が冬期閉鎖になれば出かける人も少なくなる。

日照時間が短くなるのは恨めしいが、日没間際の光の美しさは暖かい時期には望めないものだ。



古い日本家屋の隙間風に眠れない夜を過ごすこともあるが、どんなにエアコンの温度を下げても逃れられない暑さに苛まれるよりはいい。

冬の終わりが来るたびに、ああ、またあの季節が来るのかと体中に重しを乗せられるような気分になる。


秋山そわれは。



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