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墨東逍遥

  • 6 時間前
  • 読了時間: 4分

墨東エリアとは、隅田川、荒川、北十間川に囲まれた、旧向島区にあたる地域を指す。町工場や狭小住宅、長屋が、狭く入り組んだ路地に沿ってひしめく筋金入りの下町である。

中でも、京島は戦時中の空襲被害を受けず、戦前の区画や住宅が多く残っている地域だ。



スカイツリーが開業する以前の墨田区といえば、ゴチャゴチャした、余所者が足を踏み入れにくいディープタウンというイメージしかなかった。

上野や浅草のような観光地もなく、休日にカップルや家族連れが出かけていくような場所では決してない。

向島料亭街、旧玉の井、鳩の街と言った色街のイメージも強く、その翳りに惹きつけられた文化人、好事家に愛されるような街なのだ。



京島から北に一キロほど行けば、永井荷風の小説「墨東奇譚」の舞台となった旧玉の井エリアがある。

ここ数年で私娼街の名残はずいぶん消えてしまったが、今でも複雑に入り組んだ路地は残っており、どことなく暗鬱な空気が漂っている。

同じ墨田区でもJRの線路に近い錦糸町や亀戸あたりは区画が碁盤の目状に整っているが、北十間川以北の東武線、京成線に近いエリアは、電車の乗り換えが面倒な上に、戦前の区画がそのまま残ってるところが多く、道が狭く、一方通行だらけ。



この辺りの道が細く、複雑なのは、かつてこの辺りが水田地帯で、そのあぜ道がそのまま道路として転用されたためらしいが、要は人が住んだり、商業をやるのにはあまり適さない土地であったということだ。



2012年のスカイツリーの開業は、墨田のイメージを大きく変えた。

東武伊勢崎線はスカイツリーライン、業平橋という名で馴染んできた駅は「とうきょうスカイツリー駅」と名を変え、親しみやすく明るいイメージになった。


再開発により周辺の道路は拡張され、見通しが良く、明るくなったが、アングラカルチャー好きのひねくれ者にとっては、あの暗鬱感が薄くなってしまったことが嘆かわしい。


が、スカイツリーから少し離れると、通りづらい細い道が入り組んでいるさまは変わらない。駅名を変えようが、路線名を変えようが、この町はそう簡単に変わるものではないようだ。




今にも崩れそうな長屋や、埃を被った食品サンプルが無造作に並ぶ小汚い食堂、清掃の行き届いていない公衆トイレや今の建築基準では建てられないようなブロック塀を見ていると、このままこの景色が永遠に変わらずにいてくれることを願ってしまう。

地元の方には失礼かもしれないが、墨東という場所は、そうであってほしいのだ。


近年は古い町並みや古民家を保存し、「クリエイターの集うアートの町」というキャッチフレーズを掲げて活動している企業やプロジェクトが散見される。

かつての東武伊勢崎線や亀戸線の乗客の民度の低さを知っている世代から見ると、その意識高い系アピールがむず痒いのだが、町並み保存というものは、そういうインテリジェンスの高い層が使命感を持ってやることなのだ。



昭和が終わり、平成も終わり、令和もそろそろ10年にさしかかろうとしている今、当たり前に見てきた戦後の名残りを残す風景が日本全国から急速な勢いで消えている。

その流れを食い止めているのは、各地の「意識高い系」の人たちだ。

墨東や西成のようなディープな地域の町並みを残すのが、本来、そういった地域に住むような層ではない、インテリジェンスの高い層ということに倒錯を覚えるが、もはや戦後の復興期や高度経済成長期の面影を残す町並みが歴史的遺産と化しているということだなのだろう。



時代が変われば人の生活も変わる。

公共交通機関の座席から灰皿がなくなったように、駅のホームから立食いそばがなくなったように、民家のトイレからハエ取りリボンが消えてしまったように。

それを懐かしむ世代も、あとどのくらいこの世にいるのかわからなくなってきている。

私たちの世代が消えるころには、墨東はモンパルナスのような街になっていることだろう。












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